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掛合釉扁壷幅16cm×奥8.5cm×高22.5cm 735,000円 |
黒釉錆流掛皿径27cm×高5cm 357,000円 |
湯呑径8.5cm×高8.5cm(底4.5cm) 【売約済み】 |
白釉鉄絵皿5枚組径19.5cm×高3.5cm 399,000円 |
鉄絵茶碗径13cm×高9cm(底5cm) 525,000円 |
柿釉抜絵皿径25.8cm×高5.2cm 【売約済み】 |
焼〆流描皿径24.8cm×高4.4cm 【売約済み】 |
黒釉柿筒描茶碗径14.0cm×高8.1cm 600,000円 |
「私の陶器の仕事は、京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と自ら語っている。
益子で濱田が窯を築いた理由のひとつに、東京高等窯業学校時代に板谷波山の家で益子焼の山水絵土瓶に関心を抱いたことがあげられる。
1916年、河井寛次郎と共に京都私立陶磁器試験場へ入り、柳宗悦、富本憲吉、バーナード・リーチと知り合った。
1920年に帰国するバーナード・リーチと共に英国へ渡り、西海岸、漁村セント・アイグスでリーチと共に日本風の登り窯を築き作陶した。
英国での生活の中で、陶器制作の様々なことを学ぶが、田舎に住む、英国の工人達の素朴で健康的な生活の中で仕事をする精神、西欧文化の伝統に強く感銘していく。
それが都会ではない、田舎であった益子に住む動機でもあり、濱田の生涯を貫く厳しい生活態度の基盤でもある。
その中生まれた濱田の作品は、健康的で力強く、素朴さがあり、それでいて格調が高い。
「民芸品の良さは、健やかなくらしのにおいがあれば良い」とも語っている。
濱田自身の人間性が作品にそのまま表れている。
【参考文献:益子町史・1981濱田庄司】
1894年 |
神奈川県に生まれる |
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1916年 |
東京高等工業学校卒業 |
1920年 |
セント・アイヴスで作陶生活 |
1924年 |
英国より帰国、京都河井邸に二カ月滞在後、栃木県益子に入る |
1925年 |
東京・鳩居堂で帰国最初の個展 |
1926年 |
柳宗悦、河井寛次郎らと民芸運動の具体策を話し合う |
1931年 |
益子に築窯 |
1935年 |
柳邸で柳、河井らと日本民芸館設立の協議を行う |
1955年 |
重要無形文化財保持者となる |
1968年 |
文化勲章受賞 |
1974年 |
ロンドン王立美術大学よりHonorary Doctor of Artの学位を受ける |
1977年 |
自宅内に益子参考館完成 |
唐黍文、蝋抜、赤絵、柿釉、流掛
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